代表コラム
「アイスショーと私」

  • vol.03
    フィリップ・キャンデロロ<2>

1997年、スイスでの世界選手権には出場できず、97-98シーズンはフランス代表になって長野オリンピッ クに出場できるのかと心配していましたが、フランスのスケート連盟は実績で彼を代表にしたようです。長 野オリンピックでは、幸いにも、フィギュアスケート会場“ホワイトリンク”の会場演出を担当することに なり、選手の演技を間近で見ることができました。

ショートプログラム5位。メダル獲得は極めて難しいと思いました。しかし、フリー演技は、彼にとって も生涯で最高の演技だったのではないでしょうか。ジャンプはほぼ完璧に決め、その演技もまさに“ダルタ ニアン”を演じ切っていました。フリープログラム2位。総合3位でリレハンメルに続き連続の銅メダル獲 得となりました。また、この”ダルタニアン”は彼の現役時代最後のプログラムとして私にとっても強烈な 印象を残し、彼との距離を縮めたいと思う大きな動機になりました。

その後、彼はプロとして活躍し、長野オリンピック1周年、オープンフィギュアスケートと毎年のように 来日し、私もこのあたりからエージェントと知り合うことができました。日本でのショー開催をエージェン トに相談したところ、既にフランスで、夏場に、陸上競技場のような場所にスケートリンクを製作し、自ら 主役の大規模なショーを成功させていることもあり、他のスケーターも入れてセットで総額$〇〇〇〇〇〇 という目玉が飛び出るような金額を提示されました。それでも彼のショーをやりたい一心の私は、代理店や テレビ局など知っている所に企画書を持って行き、必死で売り込みましたが、高額なことや長野オリンピッ クから既に2年以上が経過し、ましてや日本人ではなく外国人となると、フィギュアスケートファンは別と して、一般の人からは忘れられるのも早いのか、企画はなかなか通りませんでした。

またエージェントとの話も金額など、話がまとまらないまま数ヶ月が経過していました。その後フランス 国内の何ヶ所かでツアーをしているのでショーを観に来ないかとエージェントに言われ、やはり「百聞は一 見に如かず」2001年1月、フランスのリヨンまで観に行くことにしました。私は1日パリを観光してリヨン に入り3泊5日、通訳の方は直接リヨンという2泊4日の弾丸ツアーでした。

ショーは、フィギュアスケートだけでなく、サーカスあり、イリュージョンあり、アクロバットありの、 私がこれまで見たことのないアイスショーの枠を超えたエンターテイメントだと感動しました。次から次へ と飽きさせない演出で、あっという間にショーが終了し、出演者全員が観客に挨拶をしました。座長である フィリップが最後にマイクを持ち、観客へのお礼の挨拶がありました。(フランス語なのでよくわかりませ んが・・・・)私は招待者席にいて、リンクに割と近い席でしたので、どうも彼が私の方を見ているなと何 となくわかりました。

「・・・・メルシー・・・・ジャポン・・・・」と最後に彼は日本から観に来ている私に感謝の言葉を観 客の前でアナウンスしたのです。この瞬間、日本開催に向け、私に新たなエネルギーが注入されたのです。 (つづく)

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